心身症

alpacaこころとからだには切っても切り離せない関係があります。
だから、どんな病気でも「こころ」と「からだ」、両方の側面があります。

「病は気から」。たとえば風邪でも、気がゆるんだときにひいてしまうという経験はあるでしょう。何か困ったことがあると、「胃が痛い」とか「頭が痛い」といいますね。
実際に胃や頭が痛くなくても使いますが、本当に胃や頭が痛くなることもあります。

実際、慢性的なストレス状態は、自律神経などを介して胃の働きを低下させます。すると胃酸が増えたり、十二指腸への排泄が滞ったりして、胃酸が胃壁を荒らし、胃炎や胃潰瘍につながります。そうでなくても、胃が痛くなったり胸やけが起こることがあります。

逆に、胃が痛いとか、頭が痛いというからだの症状は、たとえば不安や抑うつといった心の状態に影響を及ぼします。不安や抑うつは、自律神経などの調節系にも影響します。

こんなことは胃だけでなく、どんな臓器でも起こります。
このように、身体の病気に、いわゆる「ストレス」(=心理社会的因子)が関与して、よくなったり、悪くなったりする度合いが大きく、そういう側面(=心身相関)を考慮しないと、より本質的なアプローチができない病態を、「心身症」といいます。

つまり、同じ「胃炎」でも、心身症としての側面が大きい場合と、さほど大きくない場合があり、大きい場合に「胃炎(心身症)」と呼ばれるのです。

従来の医学や医療では、原因が比較的明らかで、それをつきとめて除けば解決するような病気を主な対象としていました。しかし今日では病気も複雑になり、心身相関の側面を避けては通れない病態が増えてきたため、心身医学や心身医療が必要になってきたのです。

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心療内科とは
こころとからだの関係 – 心身相関 –
こころとからだの関係 -自律神経系-
アレキシサイミア(失感情症)
アレキシソミア(失体感症)
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アレキシソミア(Alexisomia: 失体感症)

penguins自分の「からだ」と向き合ってますか?

自分がどんな気持ちをもっているか、「こころ」に気づきにくいのをアレキシサイミア(Alexithymia) と呼ぶのでしたね。

では、自分の「からだ」のことはどうでしょう。
「自分のからだのことは自分が一番よくわかっている」
と言います。でも意外に、自分のからだが調子がいいのか悪いのか、疲れているのかいないのか、どんな状態なのかわかりにくくなっていることがあります。

また、自分のからだに向き合いたくなかったり、からだから眼をそむけたりしてしまうこともあります。ダイエットがうまくいかなかったり、リバウンドしてしまう背景にこんなことがありがちです。医療では、生活習慣病の背景として重要です。

このような、自分のからだの状態に気づきにくい、自分のからだと向き合えない、という傾向を心身医学では、アレキシソミア(Alexisomia: 失体感症)とよばれます。
“somia”という言葉は、からだを表す”soma” からきていて、オーラソーマとか、ソマティック〇〇の、ソーマも同じです。

「からだと自分とのコミュニケーションがうまくいってない状態」
ということもできます。たとえば、生活習慣病では自分のからだの状態をよく知って、生活習慣を見直し、上手につきあっていくことが薬以上に大切です。ところがそこから眼をそむけ、仕事や遊びに打ち込むことで、自分をごまかしてしまうのです。

このような傾向は、「からだ」よりも、知性や情報に偏った現代人にありがちですが、おきざりにされた「からだ」はやがて、今持っている病気の悪化や、重大な病気につながってしまうことがあります。

ただし、からだのことを極端に気にしてしまう、というのも問題です(これは心気的といいます)。あくまでも、適度に、上手に、仲良く、からだとつきあっていくことです。

自分のからだと向き合い、からだを知ることは、自分と向き合い、自分を知る第一歩。
よくからだにきいてみてください、自分のこころのことや、自分自身のことを。

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アレキシサイミア(Alexithymia: 失感情症)

DSC00043ひとの気持ちはわからなくても、自分のことはよくわかっている。そう思いますよね。

でも、自分がどんな感情をもっているか、意外と気づかないこともあるのです。心身医学では、自分の気持ち(感情)がわかりにくい傾向を
「アレキシサイミア(失感情症)」
といわれます。

たとえば、誰かに嫌がらせをされて腹が立つ感情(怒り)を抱いていても、それを認めたくないなど否定したい気持ちや、表現しにくい社会的な状況などによって、その気持を無意識のうちに抑えこんでしまうことがあります。

それが知らず知らずのうちに積もり積もって、心が悲鳴を上げることがあります。感情がちゃんと言葉のレベルまで上らなかったり、表現できなかったりすると、からだの症状として表現されることもあります。これが、心身症における、身体症状に心理的な因子が関与する機序の一つと考えられています(もちろん、心身症の機序はこれだけではありません)。

自分の気持ち(感情)を知るということは、自分を知る第一歩。
自分の中の、いろんな部分のコミュニケーション(つながり)をよくすることは、ストレスに対応する上でも重要なことです。

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こころとからだ

dynamic flow

「こころ」と「からだ」は切っても切り離せないものです。

こころが動けば、からだも変化する。
からだが動けばれば、こころも変化する。

たとえば、こころが緊張すれば、どこかの筋肉が緊張します。
からだを動かせば、気持ちもほぐれたりします。
眉間にしわをよせてみてください。気持ちも少し緊張しませんか。
ほほの筋肉をゆるめてみてください。ちょっと気持ちが朗らかになりませんか。

こころだけが変化するとか、からだだけが変化するということはありません。

日本には昔から「身(み):こころや身体という概念を超えた統合体」という概念があります。「心身一如」という言葉もあります。
本来一体のものを、目に見えるからだの側面からみるか、目に見えないこころの側面からみるか、という違いにすぎないのですね。


自覚的な健康観と心臓疾患

女性の狭心症や心筋梗塞など心血管系のイベントの予測因子として、自覚的な健康度が重要であるという論文が、Psychosomatic Medicine 誌に掲載されました。

http://www.psychosomaticmedicine.org/content/72/6/549.full

女性は特に自身の身体の健康度に対する感覚が鋭いのか、男性でもそうなのかはわかりません。今回の研究では、自分で感じるものは結構当たっているかも、ということでしょう。

自分がいま健康なのか、そうでないのか、調子がいいのか、疲れているのか、からだに対する正しい感覚を持つことは、健康を維持する上でとても重要です。からだについての感覚がおかしくなった状態を、アレキシソミア(失体感症)といわれることもあります。


こころの症状とからだの症状

日本人は心理的な症状に対して「恥じる」気持ちが他の国の人に比べて大きいようです。

先日もある患者さんが、
「風邪を引いて仕事を休んだおかげで、精神的に休むことができて今は調子がよい。」
と言われていました。

その方は自分に厳しく、気持ちが落ち込んでいても、休むことは許されないといいます。
ところが、風邪という身体の病気だと、休むことが許せる。「身体の風邪」は休むことが許されても、心が落ち込んでいる「心の風邪」は、休むことが許されないのです。

抑うつ症状がメインであっても、精神的な病名では周囲の理解が得られにくいから、「自律神経失調症」などの身体的な病名にして欲しいと言われることもあります。それだけ、「心の症状」は理解されにくく、「恥」という意識があるのでしょう。

 

「身体化」の状態でも、心の悲鳴や葛藤に気付くことは容易ではありません。心の悲鳴や葛藤を認めたくないという意識があるからか、この「身体化」は比較的日本人に多いという説もあります。
欧米では、精神症状を身体症状として表す「身体化」は低レベルのことと思われる傾向があるようです。逆に、精神症状を正面から扱うことに抵抗は少なく、カウンセリングなどを受けることは文化的レベルの高い人に多いようです。

 

からだの症状が心の悲鳴であったり、こころの症状が身体の悲鳴であったりすることがあります。 いずれにしても、症状として表れているからには何らかの「意味」があるのですから、無視するわけにはいきません。
心の症状も身体の症状も、過度に振り回されたりとらわれすぎることも、目をそらしたり軽視することもなく、正面から向き合って、その「意味」を考えることが解決への一歩となるようです。


向き合うこと

自分のいやなところや、もやもやしているところ、気になるところ、としっかり向き合っていくことが、心療内科の治療では大切になってくることがあります。

でも、そんなの「しんど~い」という場合もあります。

そんなときは、ひとまずは向き合って、すぐにどうこうせずに、それをそこに「おいておく」ということはあってもいいと思います。


思いやること

パッチ・アダムスという米国の医師があります。

映画「パッチ・アダムス」によると、彼はいろいろと悩み、自殺未遂までしていたこともあったが、あるきっかけから、人を助けることで自らが救われるということを知り、医師となります。
そして、無料で医療を受けられる病院を作ったりして大活躍しています。

「ひとを思いやるという人生を送ることによって、自分のなかで一番深い平和と安らぎを得る」
と彼はいいます。

自分を大事にすることと他人を大切にすることは、両方とも大事。

やはりこの医療の原点を忘れてはならないと思う次第です。


割にあわない?

心療内科は割にあわない?

他の科でさんざん検査をして異常がないけど、症状が続いて患者さんも医療者も困り果てた患者さんが紹介されて来る。
今の診療報酬では検査も薬もなければ儲からない。だから一生懸命やっても割にあわない、とも言える。

でも眼に見えない形で、どこかで割にあっているのかも。だからこそ、一見割に合わなくてもやっているのでしょうね。