Rita Charon とナラティブメディスン

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Whole Person Care 国際学会では、何人かの著名なspeaker の講演もありました。
その中で特に印象に残ったのが、Narrative medicineの草分け、Rita Charon の「語り」でした。

Rita Charon
http://en.wikipedia.org/wiki/Rita_Charon

‘Narrative Medicine’について
http://en.wikipedia.org/wiki/Narrative_medicine

JAMAの論文
http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=194300

その内容が素晴らしかったというよりも(それもよかったのですが)、その語り方、雰囲気、ボディランゲージなど、いわゆる「非言語的なところ」に感銘したのです。

メラビアン(A.Mehrabian)によると、言語がメッセージに占める割合はわずか7%、トーンやボディランゲージなど非言語的な要素が93%にもなる、という研究がありますが、納得しました。

一般に、欧米の人達の話し方はどちらかといと早口で、ボディランゲージもかなり使いますが、それをかき消すかの如く、まくしたてるような話し方をする人もあります。
実際、他のspeakerの講演はどちらかというとそれに近く、知識を刺激されて勉強になったり、感銘したりもするのですが、なぜか後になって印象に残ったのは圧倒的にRita Charon の話(語り)でした。

静かに、ゆっくりと、心に染み入るような、魂に語りかけるような話し方、といってもそれこそ言葉で伝えるのはむつかしいですが。彼女は普段から患者さんと話すときも、そういう聞き方や話し方をしているからこそ、人を動かすこともできるのでしょう。

とはいえどんなことを話していたのか。Narrative Medicine には3つの重要な要素があると…。

attension 記録や動きを止めて、ただ話に注意を向けること。
representation それを「描写」すること(記録やコピーではない)。
affiliation 結びつくこと?これは最終ゴールで簡単ではない。

こういう話し方や聞き方は、何も特別なことではありませんが、それでも一朝一夕にできるものではないでしょう。
それはその人の生き方そのものが反映されるから。
それでも、人の話を聞いたり、話したりするときに、心がけようと思いました。

1st Congress on Whole Person Care (WPC国際学会)

 


Whole Person Care 国際学会

2013CongressWPCFirst International Congress on Whole Person Care
http://www.wpc2013.ca/
が “McGill Programs in Whole Person Care” の主催で、McGill 大学 で行われたので、参加してみました。

Whole Person Care はどんなものか…。
[以下私の経験や知識に基づく捉え方なので、万が一間違っている場合はご容赦ください。正確に詳しく知りたい方は上記または、http://www.mcgill.ca/wholepersoncare/ を参照ください。]

“Whole Person Care (以下WPC)” とは、日本では「全人的医療」に近いものです。
医療(病気)には、人の身体の部分を分割して取り扱う、どちらかちうと医学的・生物学的側面と、心理・社会面なども含めて「人」として全人的に取り扱う、生物医学を超えた側面とがありますね。

WPCでは”fixing part” & “healing part” of medicine
つまり、「治療」的な側面(治す)と「癒し」としての側面 があるとして、その両者はかなり異なるが、互いに関係し合っていてどちらも重要だと考え、その立場からの医療を目指すものです。

北米の緩和ケアの父と言われるDr. Balfour Mount と McGill University で Programs in Whole Person Care を築いた Dr. Abraham Fuks によって1999年に提起され、現在もMcGill の医学プログラムとして発展しています。

このような流れはほぼ全世界的にいくつかあります。
WPCのもとになった緩和ケアはいうまでもありませんが、心身医学はその中の特に心身相関に重点をおいた医学であり、総合診療科は臓器別医療の垣根を越えて全人的医療を目指す診療科、統合医療はアプローチの面で、補完代替療法を含めて統合的に治療しようとする医療、ストーリー性に重点をおいたナラティブベイストメディシンなどです。 どれもそれぞれに考え方があり、同じではありませんが、共通するのは全人的な捉え方です。

その中でこのWPCの特徴は、治療者自身のケア(セルフケア)も重視し、それとAltruism (利他主義)的側面との兼ね合いを考えること、「マインドフルネス」を、単に治療手段としてのみならず、治療スタンスや治療者・患者関係などにも積極的に応用していること、などが挙げられるようです。

個人的には、治療者の”Self” や “Identity” について考えようとしているところが興味深いと感じました。従来の「臓器別にとらえて」、「修理のように治す」ことのみに着目した医療では限界があり、人間の「病い」に相対するには不十分。こういう意識に基づく取組みは全世界どこでもあるのだと改めて知らされます。

 

 


McGill大学の新学期

DSC_15904ケ月の長~い夏休みも終わり、9月の新学期。 バケーションの雰囲気から、一気に学内が活気にあふれ、騒然とし始めます。新入学生は世界各国から受験を勝ち抜いて選ばれた人たち。特に医学部はなおさらです。

「マギル大学の学部生は約24,000人、大学院生は約7,600人余りである。カナダ人入学者の高校での成績平均はカナダの大学中第1位であり、毎年世界160ヶ国以上から成績優秀者達が入学し、180ヶ国以上にマギル大学の卒業生がいる。」(Wikipedia 2013より)

そんな中、こちらでのボスであるProfessor Leon Glass の講義「生物学における数理モデル」も開講し、私も(優秀な?)学生に混じって聴講!日本の医学部や心理学科などで講義した経験と比べるると、(知ってはいたものの)あまりに雰囲気が違うのに驚いた。おしゃべりがないのは当たり前、「質問は?」と聞かれると必ず数人の学生が熱心に質問し、その内容も高度なのです。

日本だと、大学院はともかく、学部の場合はまず私語をやめさせ、注意をひきつけるのにエネルギーをとられます。もちろん講師の格?や話のうまさなどによって変わってきますが、それだけではありません。

つまり「日本の大学(生)はだめだ、米加の大学(生)はよい」といいたいのではありません。いろいろあるでしょうが、一つにはこちらの競争の激しさと、日本のとても厳重に護られた「よすぎる環境」もあるのでは。日本では日本語しか通用しない(のである意味護られている)というのもありましょう。一方カナダや米国では、入るときの競争もさることながら、入ってから数々の関門をパスして卒業するのは大変です。もともの素質が、いやでも入ってからさらにさらに磨かれるのです。

一概にどっちがいいとはいえません。ただ、国際競争力で日本の大学の地位が低くなっているのは事実。日本には、震災のときに見せた助け合いの精神や復興力(忍耐力)、世界でも一目おかれる和の文化、最近は陰りもあるものの高い技術力、クオリティの高いサービス力など、多くの誇れるものがあります。

東京オリンピックが決まり、国際社会での日本のあり方が模索される中、その素晴らしい魅力に磨きをかけたいところ。偉そうなことは言えませんが、そのためにも大学教育やアカデミアの面で、よりよいあり方が実現できればと思う次第です。

 


McGill University

IMAG0953カナダ、モントリオールのマギル大学
 http://ja.wikipedia.org/wiki/マギル大学
McGill University, Montreal, Canada
 http://www.mcgill.ca/

これから約1年間、ここで Visiting Professor としてStudy (在外研究)を行うことになりました。

モントリオール…オリンピックでの記憶くらいしかない方もあるかもしれません。北米のパリといわれる、フランス文化の強いところで、街はフランス語が中心です。マギル大学は英語圏の大学です。英・仏両方の文化が入り混じった味わい深いところ。

古くから医学や生理学の研究で知られていて、医学教育の草分けウイリアム・オスラー、ストレス学説のハンス・セリエ、脳神経外科医のワイルダーペンフィールドなどとゆかりの深い大学です。

建物はどれも古く重厚で、歴史を感じさせるものばかり。モントリオールの芸術文化と、アカデミックな要素が見事にマッチして、世界的な総合大学でありながら、街のダウンタウンの真ん中から北のモントロイヤル公園に位置する便利なところにあります。

これから、心身医学の視点からみた(そうでなくても)、マギル大学やモントリオールのことを、少しずつアップしていきたいと思います。