Whole Person Care 国際学会

2013CongressWPCFirst International Congress on Whole Person Care
http://www.wpc2013.ca/
が “McGill Programs in Whole Person Care” の主催で、McGill 大学 で行われたので、参加してみました。

Whole Person Care はどんなものか…。
[以下私の経験や知識に基づく捉え方なので、万が一間違っている場合はご容赦ください。正確に詳しく知りたい方は上記または、http://www.mcgill.ca/wholepersoncare/ を参照ください。]

“Whole Person Care (以下WPC)” とは、日本では「全人的医療」に近いものです。
医療(病気)には、人の身体の部分を分割して取り扱う、どちらかちうと医学的・生物学的側面と、心理・社会面なども含めて「人」として全人的に取り扱う、生物医学を超えた側面とがありますね。

WPCでは”fixing part” & “healing part” of medicine
つまり、「治療」的な側面(治す)と「癒し」としての側面 があるとして、その両者はかなり異なるが、互いに関係し合っていてどちらも重要だと考え、その立場からの医療を目指すものです。

北米の緩和ケアの父と言われるDr. Balfour Mount と McGill University で Programs in Whole Person Care を築いた Dr. Abraham Fuks によって1999年に提起され、現在もMcGill の医学プログラムとして発展しています。

このような流れはほぼ全世界的にいくつかあります。
WPCのもとになった緩和ケアはいうまでもありませんが、心身医学はその中の特に心身相関に重点をおいた医学であり、総合診療科は臓器別医療の垣根を越えて全人的医療を目指す診療科、統合医療はアプローチの面で、補完代替療法を含めて統合的に治療しようとする医療、ストーリー性に重点をおいたナラティブベイストメディシンなどです。 どれもそれぞれに考え方があり、同じではありませんが、共通するのは全人的な捉え方です。

その中でこのWPCの特徴は、治療者自身のケア(セルフケア)も重視し、それとAltruism (利他主義)的側面との兼ね合いを考えること、「マインドフルネス」を、単に治療手段としてのみならず、治療スタンスや治療者・患者関係などにも積極的に応用していること、などが挙げられるようです。

個人的には、治療者の”Self” や “Identity” について考えようとしているところが興味深いと感じました。従来の「臓器別にとらえて」、「修理のように治す」ことのみに着目した医療では限界があり、人間の「病い」に相対するには不十分。こういう意識に基づく取組みは全世界どこでもあるのだと改めて知らされます。

 

 


民族の性格を知る

McGillPeople_201309北米人と日本人の心理的性格を比べたとき、どちらかというと
「積極的・攻撃的・ストレート(裏表が少ない)・コミュニケーション上手・パワフル」
といった特徴に対して、どちらかというと、
「受動的・思慮深い・やや複雑(裏表がある)・コミュニケーション不得手・調和的」
といった印象を持つ方は多いでしょう。もちろん、民族の性格をひとくくりにするのはかなり無理があることは承知の上です。

世界のどこかで問題が生じたとき、積極的に介入して何とかしようとするのは北米の人達であり、憲法の縛りがあるといえ日本人は積極的にはしません。もっと身近なことで言うと、例えば公園などで一人でぼーっとしていて、日本で誰かに声をかけられたり介入されることはあっても少ないですが、北米ではかなりの確率で、良し悪しはともかく、何らかのアプローチが来ます(道を聞かれる、ただ話しかけられる、すぐ隣に来て騒ぎ出す?、など)。

北米人といっても、原住民ではなくヨーロッパからの移民の子孫のことなので、ヨーロッパ人の性格を引き継ぎながら発展した性格と言っていいでしょう。そもそも新天地を求めて移動することから始まった狩猟民族と、四方を海に囲まれてひたすら文化を守ってきた農耕民族の違いが根底にあることは言うまでもありません。

北米人の性格が良い方にでると、交渉上手、効率よいシステムづくり、他をリードして成果を形にする、などにつながります。日本人の性格が良い方にでると、上質かつ緻密な物づくり(電化製品、車、アニメなど)、相手の立場に立ったサービス、一致団結した共同作業、などにつながります。

StreetLive_201309病気による死因でいうと、悪性新生物(ガン)と循環器系疾患の割合が多いのは同じですが、日本は悪性新生物の方が多いのに対して、米国では循環器系疾患の方が多く、カナダはその中間または日本にやや近いようです(統計局HP「世界の統計2013」による)。

これを生理的な観点でみると、ざっくりいうなら、自律神経系の中の交感神経に関係するものと、副交感神経に関係するもの、とみることもできます。循環器系の障害は、交感神経優位やその機能障害が関係しやすく、対して、消化器系の疾患や悪性腫瘍は、副交感神経優位やその機能障害が関係しやすい、と考えられます(ここは私見ですが)。

このような違いがあるので、その治療的アプローチも同じではありません。
体格の違いから薬の量などが違うのもそうですが、薬による治療以外でも、北米でされているアプローチをそのまま日本に持ち込んでもうまくいきません。心身医学関連では特に、心理的性格や生理的な違いがかかわってきます。

北米では「認知行動療法」や「マインドフルネス」などが割合広まっていますが、そのやり方をそのまま日本でやってもうまくいかないことがあります。例えば、認知行動療法で「カラム法」というのがあり、「出来事」とそのときに生じた「思考」「行動」などを各カラムに記述し、別の思考や行動に変えていこうというもので米国人には合っています。でも日本でこれをその通りやろうとしても、思考を言語化する習慣が少ない、どうにも面倒(合わない)、などの理由で、しっくりこないと感じたことがありました。

「受け身」だからか、日本人は自分達のやり方を他に広めるよりも、北米・欧米のやり方を取り入れることが多く、それはとてもいいことですが、「そのまま真似る」ではむつかしいのではないでしょうか。そもそも「西洋医学」をそのまま鵜呑みにすること自体誤りかもしれないですね。西洋医学はあくまで「西洋」の医学ですから。

Yufuin_201307今トレンドのマインドフルネスも、仏教や禅の概念を「西洋流」にアレンジしてできたものですから、日本流の再アレンジが必要、というか、もともと東洋のものならアレンジする必要がない??ということになります。少なくとも西洋流のアレンジでは合わないでしょう。もちろん素晴らしいところが沢山あり、ダメだと言っているのではありません…念のため。

取り入れるべきものは積極的に取り入れながらも、鵜呑みにはせず、日本人の性格、生理的傾向、文化や環境などにあったモデファイや、日本固有のやり方との融合がとても重要だと思います。
「彼を知り己を知れば 百戦殆からず」(孫子)

 


フランス文化とモントリオール: 時間と空間の狭間

モントリオールを含むケベック州の最大の特徴、それはフランス文化の地であるということ。
ケベック以外のカナダでは英語が中心なのに対し、モントリオールではフランス語が公用語であり、街の標識や看板も全てフランス語です。しかしながら英語も通じ、たいていの人は両方話せます。街並みもフランス、パリを思わせるところと、イギリス、米国風のところがあります。

この2大文化がここまで入り混じっているのは、世界広しといえどもケベック州以外にはあまりないのではと思います。ではその2大文化の違いは何か。Parc

米国とヨーロッパの違いについては…
「アメリカにはたんに空間があるだけだ。ヨーロッパ諸国は時間のうえに築かれている。」 
 (ベルナール・ファイ 「アメリカ文明論」)

「アメリカには空間があるけど時間がない。ヨーロッパには時間があるけど空間がない」
ともいわれるように、「空間」と「時間」がその鍵を握っているようです。

ヨーロッパとアメリカでは、「一昔」などと言った場合の時間のスケールが違うとも言われます。その他、具体的な文化や習慣の違いについてはこちら(英語)

さて、個々のいろんな違いはともかく、実際の印象として、空間はすなわち力・パワーとして、時間はすなわち深みや味わい深さとして肌で感じることができます。街などの雰囲気が、米国はパワフルなのに対して、ヨーロッパは深みや味わい深さを感じさせることが多くないでしょうか。

米国とその元の英国とはまた違うし、フランスと英国以外のヨーロッパともまた違う。
そもそも文化というのは複雑に入り混じっているので、明確に対比できるものでもないでしょう。しかし、そのルーツをたどって要素をみていくと、「時間」と「空間」にたどりつくのは興味深いです。

CityHall医学でも、特に近年は「機能性疾患群」といわれる、従来の検査ではとらえきれない、ストレスなども絡みやすい疾患が増えていて、それらをどのように捉えるかは議論が分かれています。その中で、それらを統合的にとらえて共通性を見出そうとする人(‘lumpers’)と、疾患を分類して個別性を重視する人(‘splitters’)があるという誌上議論がありました(Wessely S & White P, British Journalof Psychiatry, 2004)。

日本やドイツの心身医学は、西洋医学を否定せず積極的に取り入れながらも、心身の統合的見方がベースにあります。分割と統合をバランスよく取り入れてきたともいえます。

空間に重きをおけば分割する見方になり、時間に重きをおけば統合する見方になる。このどちらの見方も重要です。分割することで科学が発展してきたのも事実だし、何でも分割すればわかるというものでなく、統合的にとらえて始めて理解できるのも事実です。

幸い(?)、相対性理論では時間と空間は等価であり、もともと相容れないものではないとされます。英仏文化がほどよく混じりあう(対立する?)、モントリオールの街並みを眺めながら、そんなことを考えたのでした。


McGill University

IMAG0953カナダ、モントリオールのマギル大学
 http://ja.wikipedia.org/wiki/マギル大学
McGill University, Montreal, Canada
 http://www.mcgill.ca/

これから約1年間、ここで Visiting Professor としてStudy (在外研究)を行うことになりました。

モントリオール…オリンピックでの記憶くらいしかない方もあるかもしれません。北米のパリといわれる、フランス文化の強いところで、街はフランス語が中心です。マギル大学は英語圏の大学です。英・仏両方の文化が入り混じった味わい深いところ。

古くから医学や生理学の研究で知られていて、医学教育の草分けウイリアム・オスラー、ストレス学説のハンス・セリエ、脳神経外科医のワイルダーペンフィールドなどとゆかりの深い大学です。

建物はどれも古く重厚で、歴史を感じさせるものばかり。モントリオールの芸術文化と、アカデミックな要素が見事にマッチして、世界的な総合大学でありながら、街のダウンタウンの真ん中から北のモントロイヤル公園に位置する便利なところにあります。

これから、心身医学の視点からみた(そうでなくても)、マギル大学やモントリオールのことを、少しずつアップしていきたいと思います。