明在と暗在の心身プロセス

WinterMcGill_201402感情や気分が身体にどのように影響するか、これは心身医学の「心から身」の問題として重要です(もちろんその逆「身→心」も重要です)。

こころとからだは切り離せない表裏一体の関係なので、影響するのは当然ですが、その影響の仕方に、①明在的なプロセスと、②暗在的なプロセスとがあります(Lane 2008, Psychosomatic Medicine など)。

①明在的なプロセス(Explicit Emotional Process)は、どちらかというと意識上のもので、抑うつ、不安などのネガティブな気分が、身体によくない影響を及ぼす、というものです。比較的わかりやすく、いろいろな研究によるエビデンスがあります。

その一方で、
②暗在的なプロセス(Implicit Emotional Process)は、どちらかというと意識下のもので、ネガティブな気分に気づいたり表現したりすることが妨げられたとき、身体によくない影響を及ぼす、というものです。 こちらは表面からはわかりにくいため、なかなか証明が難しい面もありますが、心身医学ではこちらが重要です。

この2つは一見矛盾しているようにもみえます。ネガティブな感情は抑えるべきなのか、表現すべきなのか。普通の社会生活を送っていると、迷うことも多いのではないでしょうか。

Fennel_201402‘Fennel’ の上の部分は、いい香りがしてハーブとして使われますが、下の部分は独特のおいしさがあり、野菜としてシチューなどに使われます。

ちょうど上の部分は①のプロセス、下の部分は②のプロセスに譬えられるのではないでしょうか。確かにハーブとしてのFennel もいいのですが、野菜としてのFennel もなかなかに味わい深いです。

Fennnel の下の部分がなければ、上のハーブの部分は絶対に出てきません。暗在的なプロセスは心の構造の根っこにあたる根源的なもので、からだとも関係が深く、とても重要です。

心身の健康を保つ上で鍵になる、この部分をみながらアプローチするのが心療内科の特徴の一つと考えています。


心身症

alpacaこころとからだには切っても切り離せない関係があります。
だから、どんな病気でも「こころ」と「からだ」、両方の側面があります。

「病は気から」。たとえば風邪でも、気がゆるんだときにひいてしまうという経験はあるでしょう。何か困ったことがあると、「胃が痛い」とか「頭が痛い」といいますね。
実際に胃や頭が痛くなくても使いますが、本当に胃や頭が痛くなることもあります。

実際、慢性的なストレス状態は、自律神経などを介して胃の働きを低下させます。すると胃酸が増えたり、十二指腸への排泄が滞ったりして、胃酸が胃壁を荒らし、胃炎や胃潰瘍につながります。そうでなくても、胃が痛くなったり胸やけが起こることがあります。

逆に、胃が痛いとか、頭が痛いというからだの症状は、たとえば不安や抑うつといった心の状態に影響を及ぼします。不安や抑うつは、自律神経などの調節系にも影響します。

こんなことは胃だけでなく、どんな臓器でも起こります。
このように、身体の病気に、いわゆる「ストレス」(=心理社会的因子)が関与して、よくなったり、悪くなったりする度合いが大きく、そういう側面(=心身相関)を考慮しないと、より本質的なアプローチができない病態を、「心身症」といいます。

つまり、同じ「胃炎」でも、心身症としての側面が大きい場合と、さほど大きくない場合があり、大きい場合に「胃炎(心身症)」と呼ばれるのです。

従来の医学や医療では、原因が比較的明らかで、それをつきとめて除けば解決するような病気を主な対象としていました。しかし今日では病気も複雑になり、心身相関の側面を避けては通れない病態が増えてきたため、心身医学や心身医療が必要になってきたのです。

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こころとからだ

dynamic flow

「こころ」と「からだ」は切っても切り離せないものです。

こころが動けば、からだも変化する。
からだが動けばれば、こころも変化する。

たとえば、こころが緊張すれば、どこかの筋肉が緊張します。
からだを動かせば、気持ちもほぐれたりします。
眉間にしわをよせてみてください。気持ちも少し緊張しませんか。
ほほの筋肉をゆるめてみてください。ちょっと気持ちが朗らかになりませんか。

こころだけが変化するとか、からだだけが変化するということはありません。

日本には昔から「身(み):こころや身体という概念を超えた統合体」という概念があります。「心身一如」という言葉もあります。
本来一体のものを、目に見えるからだの側面からみるか、目に見えないこころの側面からみるか、という違いにすぎないのですね。