体調はいかが?

体調がいいいとか悪いとか、緊張している・リラックスしている、お腹が空いている・満腹だ、などといった、からだの生理的な状態を捉えるシステムを「内受容感覚」といいます。

この内受容感覚について、以前はあまりよくわかっていなかったのですが、脳科学(ニューロサイエンス)の発展に伴って、その機序が少しずつ解明されつつあります。「大脳辺縁系」という自律神経などの生理的な調整機能を担う脳の周辺領域に、そのセンターがあるようです。内受容感覚

これが適切でないと、疲れているのにやりすぎて倒れてしまったり、満腹なのに食べ過ぎてしまったりして、心身の健康を壊してしまうことがあります。ダイエットにも関係してきます。

「からだの声をきく」ことは心身の健康への第一歩。
心身医学との関わりでは、自身の感情やからだへの「気づき」の基盤として、この内受容感覚が関わっているようです。

内受容感覚がよいと心身への気づきもよく、自律神経などのからだの働きもよくなるとか。このあたりのメカニズムがさらに解明されると、自分の心やからだと上手に向き合って、健康を高める方法が見えてくるのではと期待されます。

さらに詳しく専門的にお知りになりたい方は、こちら↓を参照ください。
http://ratik.org/wp-content/uploads/kanbara2015.pdf


明在と暗在の心身プロセス

WinterMcGill_201402感情や気分が身体にどのように影響するか、これは心身医学の「心から身」の問題として重要です(もちろんその逆「身→心」も重要です)。

こころとからだは切り離せない表裏一体の関係なので、影響するのは当然ですが、その影響の仕方に、①明在的なプロセスと、②暗在的なプロセスとがあります(Lane 2008, Psychosomatic Medicine など)。

①明在的なプロセス(Explicit Emotional Process)は、どちらかというと意識上のもので、抑うつ、不安などのネガティブな気分が、身体によくない影響を及ぼす、というものです。比較的わかりやすく、いろいろな研究によるエビデンスがあります。

その一方で、
②暗在的なプロセス(Implicit Emotional Process)は、どちらかというと意識下のもので、ネガティブな気分に気づいたり表現したりすることが妨げられたとき、身体によくない影響を及ぼす、というものです。 こちらは表面からはわかりにくいため、なかなか証明が難しい面もありますが、心身医学ではこちらが重要です。

この2つは一見矛盾しているようにもみえます。ネガティブな感情は抑えるべきなのか、表現すべきなのか。普通の社会生活を送っていると、迷うことも多いのではないでしょうか。

Fennel_201402‘Fennel’ の上の部分は、いい香りがしてハーブとして使われますが、下の部分は独特のおいしさがあり、野菜としてシチューなどに使われます。

ちょうど上の部分は①のプロセス、下の部分は②のプロセスに譬えられるのではないでしょうか。確かにハーブとしてのFennel もいいのですが、野菜としてのFennel もなかなかに味わい深いです。

Fennnel の下の部分がなければ、上のハーブの部分は絶対に出てきません。暗在的なプロセスは心の構造の根っこにあたる根源的なもので、からだとも関係が深く、とても重要です。

心身の健康を保つ上で鍵になる、この部分をみながらアプローチするのが心療内科の特徴の一つと考えています。


Rita Charon とナラティブメディスン

narrative-medicine-charon-rita

Whole Person Care 国際学会では、何人かの著名なspeaker の講演もありました。
その中で特に印象に残ったのが、Narrative medicineの草分け、Rita Charon の「語り」でした。

Rita Charon
http://en.wikipedia.org/wiki/Rita_Charon

‘Narrative Medicine’について
http://en.wikipedia.org/wiki/Narrative_medicine

JAMAの論文
http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=194300

その内容が素晴らしかったというよりも(それもよかったのですが)、その語り方、雰囲気、ボディランゲージなど、いわゆる「非言語的なところ」に感銘したのです。

メラビアン(A.Mehrabian)によると、言語がメッセージに占める割合はわずか7%、トーンやボディランゲージなど非言語的な要素が93%にもなる、という研究がありますが、納得しました。

一般に、欧米の人達の話し方はどちらかといと早口で、ボディランゲージもかなり使いますが、それをかき消すかの如く、まくしたてるような話し方をする人もあります。
実際、他のspeakerの講演はどちらかというとそれに近く、知識を刺激されて勉強になったり、感銘したりもするのですが、なぜか後になって印象に残ったのは圧倒的にRita Charon の話(語り)でした。

静かに、ゆっくりと、心に染み入るような、魂に語りかけるような話し方、といってもそれこそ言葉で伝えるのはむつかしいですが。彼女は普段から患者さんと話すときも、そういう聞き方や話し方をしているからこそ、人を動かすこともできるのでしょう。

とはいえどんなことを話していたのか。Narrative Medicine には3つの重要な要素があると…。

attension 記録や動きを止めて、ただ話に注意を向けること。
representation それを「描写」すること(記録やコピーではない)。
affiliation 結びつくこと?これは最終ゴールで簡単ではない。

こういう話し方や聞き方は、何も特別なことではありませんが、それでも一朝一夕にできるものではないでしょう。
それはその人の生き方そのものが反映されるから。
それでも、人の話を聞いたり、話したりするときに、心がけようと思いました。

1st Congress on Whole Person Care (WPC国際学会)

 


Whole Person Care 国際学会

2013CongressWPCFirst International Congress on Whole Person Care
http://www.wpc2013.ca/
が “McGill Programs in Whole Person Care” の主催で、McGill 大学 で行われたので、参加してみました。

Whole Person Care はどんなものか…。
[以下私の経験や知識に基づく捉え方なので、万が一間違っている場合はご容赦ください。正確に詳しく知りたい方は上記または、http://www.mcgill.ca/wholepersoncare/ を参照ください。]

“Whole Person Care (以下WPC)” とは、日本では「全人的医療」に近いものです。
医療(病気)には、人の身体の部分を分割して取り扱う、どちらかちうと医学的・生物学的側面と、心理・社会面なども含めて「人」として全人的に取り扱う、生物医学を超えた側面とがありますね。

WPCでは”fixing part” & “healing part” of medicine
つまり、「治療」的な側面(治す)と「癒し」としての側面 があるとして、その両者はかなり異なるが、互いに関係し合っていてどちらも重要だと考え、その立場からの医療を目指すものです。

北米の緩和ケアの父と言われるDr. Balfour Mount と McGill University で Programs in Whole Person Care を築いた Dr. Abraham Fuks によって1999年に提起され、現在もMcGill の医学プログラムとして発展しています。

このような流れはほぼ全世界的にいくつかあります。
WPCのもとになった緩和ケアはいうまでもありませんが、心身医学はその中の特に心身相関に重点をおいた医学であり、総合診療科は臓器別医療の垣根を越えて全人的医療を目指す診療科、統合医療はアプローチの面で、補完代替療法を含めて統合的に治療しようとする医療、ストーリー性に重点をおいたナラティブベイストメディシンなどです。 どれもそれぞれに考え方があり、同じではありませんが、共通するのは全人的な捉え方です。

その中でこのWPCの特徴は、治療者自身のケア(セルフケア)も重視し、それとAltruism (利他主義)的側面との兼ね合いを考えること、「マインドフルネス」を、単に治療手段としてのみならず、治療スタンスや治療者・患者関係などにも積極的に応用していること、などが挙げられるようです。

個人的には、治療者の”Self” や “Identity” について考えようとしているところが興味深いと感じました。従来の「臓器別にとらえて」、「修理のように治す」ことのみに着目した医療では限界があり、人間の「病い」に相対するには不十分。こういう意識に基づく取組みは全世界どこでもあるのだと改めて知らされます。

 

 


民族の性格を知る

McGillPeople_201309北米人と日本人の心理的性格を比べたとき、どちらかというと
「積極的・攻撃的・ストレート(裏表が少ない)・コミュニケーション上手・パワフル」
といった特徴に対して、どちらかというと、
「受動的・思慮深い・やや複雑(裏表がある)・コミュニケーション不得手・調和的」
といった印象を持つ方は多いでしょう。もちろん、民族の性格をひとくくりにするのはかなり無理があることは承知の上です。

世界のどこかで問題が生じたとき、積極的に介入して何とかしようとするのは北米の人達であり、憲法の縛りがあるといえ日本人は積極的にはしません。もっと身近なことで言うと、例えば公園などで一人でぼーっとしていて、日本で誰かに声をかけられたり介入されることはあっても少ないですが、北米ではかなりの確率で、良し悪しはともかく、何らかのアプローチが来ます(道を聞かれる、ただ話しかけられる、すぐ隣に来て騒ぎ出す?、など)。

北米人といっても、原住民ではなくヨーロッパからの移民の子孫のことなので、ヨーロッパ人の性格を引き継ぎながら発展した性格と言っていいでしょう。そもそも新天地を求めて移動することから始まった狩猟民族と、四方を海に囲まれてひたすら文化を守ってきた農耕民族の違いが根底にあることは言うまでもありません。

北米人の性格が良い方にでると、交渉上手、効率よいシステムづくり、他をリードして成果を形にする、などにつながります。日本人の性格が良い方にでると、上質かつ緻密な物づくり(電化製品、車、アニメなど)、相手の立場に立ったサービス、一致団結した共同作業、などにつながります。

StreetLive_201309病気による死因でいうと、悪性新生物(ガン)と循環器系疾患の割合が多いのは同じですが、日本は悪性新生物の方が多いのに対して、米国では循環器系疾患の方が多く、カナダはその中間または日本にやや近いようです(統計局HP「世界の統計2013」による)。

これを生理的な観点でみると、ざっくりいうなら、自律神経系の中の交感神経に関係するものと、副交感神経に関係するもの、とみることもできます。循環器系の障害は、交感神経優位やその機能障害が関係しやすく、対して、消化器系の疾患や悪性腫瘍は、副交感神経優位やその機能障害が関係しやすい、と考えられます(ここは私見ですが)。

このような違いがあるので、その治療的アプローチも同じではありません。
体格の違いから薬の量などが違うのもそうですが、薬による治療以外でも、北米でされているアプローチをそのまま日本に持ち込んでもうまくいきません。心身医学関連では特に、心理的性格や生理的な違いがかかわってきます。

北米では「認知行動療法」や「マインドフルネス」などが割合広まっていますが、そのやり方をそのまま日本でやってもうまくいかないことがあります。例えば、認知行動療法で「カラム法」というのがあり、「出来事」とそのときに生じた「思考」「行動」などを各カラムに記述し、別の思考や行動に変えていこうというもので米国人には合っています。でも日本でこれをその通りやろうとしても、思考を言語化する習慣が少ない、どうにも面倒(合わない)、などの理由で、しっくりこないと感じたことがありました。

「受け身」だからか、日本人は自分達のやり方を他に広めるよりも、北米・欧米のやり方を取り入れることが多く、それはとてもいいことですが、「そのまま真似る」ではむつかしいのではないでしょうか。そもそも「西洋医学」をそのまま鵜呑みにすること自体誤りかもしれないですね。西洋医学はあくまで「西洋」の医学ですから。

Yufuin_201307今トレンドのマインドフルネスも、仏教や禅の概念を「西洋流」にアレンジしてできたものですから、日本流の再アレンジが必要、というか、もともと東洋のものならアレンジする必要がない??ということになります。少なくとも西洋流のアレンジでは合わないでしょう。もちろん素晴らしいところが沢山あり、ダメだと言っているのではありません…念のため。

取り入れるべきものは積極的に取り入れながらも、鵜呑みにはせず、日本人の性格、生理的傾向、文化や環境などにあったモデファイや、日本固有のやり方との融合がとても重要だと思います。
「彼を知り己を知れば 百戦殆からず」(孫子)

 


言葉にすること

Park先日、ある患者さんが「もうすっかりよくなりました」と笑顔で語られました。いろいろなストレスがたまたま一度に重なったのをきっかけに、頭痛などの症状がでてきた方でした。

大学病院の心療内科では、心身症の患者さんがすっきりとよくなることはそう多くないのですが、中にはこういうケースもあります。

では、どうやってよくなるのか。
いろいろなケースがあり、きっかけもさまざまですが、その中の一つに、つらい状況を「十分に言葉にして語る」ということがあります。ただ、つらい状況を言葉にするのはそう簡単なことではありません。

話せる環境、そもそも言葉にする力、聞いてもらえる相手、など、いろいろな条件がそろわないとできません。もう一つ大事なことは、その言葉を「そのままに受け止めてもらう」ことです。「そのままに」というのがミソです。

それができた場合、ストレスに感じる状況が変わってなくてもよくなることがあります。言葉にすることは、単純にみえて意外に大きな効果があるのです。言葉にすることで、自分の内にだけあったものを、誰かと共有することができ、自分でも客観的にみることができます。

少し難しくいうと、主観の客観化のプロセスを経る、ともいえるでしょう。
言葉とはそういう意味でも、素晴らしいもの。
言葉にならない感覚と、あえて言葉にすることと、両方とも大切なのですね。

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アレキシサイミアの記事
アレキシサイミア(失感情症)
アレキシソミア(失体感症)
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心身症

alpacaこころとからだには切っても切り離せない関係があります。
だから、どんな病気でも「こころ」と「からだ」、両方の側面があります。

「病は気から」。たとえば風邪でも、気がゆるんだときにひいてしまうという経験はあるでしょう。何か困ったことがあると、「胃が痛い」とか「頭が痛い」といいますね。
実際に胃や頭が痛くなくても使いますが、本当に胃や頭が痛くなることもあります。

実際、慢性的なストレス状態は、自律神経などを介して胃の働きを低下させます。すると胃酸が増えたり、十二指腸への排泄が滞ったりして、胃酸が胃壁を荒らし、胃炎や胃潰瘍につながります。そうでなくても、胃が痛くなったり胸やけが起こることがあります。

逆に、胃が痛いとか、頭が痛いというからだの症状は、たとえば不安や抑うつといった心の状態に影響を及ぼします。不安や抑うつは、自律神経などの調節系にも影響します。

こんなことは胃だけでなく、どんな臓器でも起こります。
このように、身体の病気に、いわゆる「ストレス」(=心理社会的因子)が関与して、よくなったり、悪くなったりする度合いが大きく、そういう側面(=心身相関)を考慮しないと、より本質的なアプローチができない病態を、「心身症」といいます。

つまり、同じ「胃炎」でも、心身症としての側面が大きい場合と、さほど大きくない場合があり、大きい場合に「胃炎(心身症)」と呼ばれるのです。

従来の医学や医療では、原因が比較的明らかで、それをつきとめて除けば解決するような病気を主な対象としていました。しかし今日では病気も複雑になり、心身相関の側面を避けては通れない病態が増えてきたため、心身医学や心身医療が必要になってきたのです。

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心療内科とは
こころとからだの関係 – 心身相関 –
こころとからだの関係 -自律神経系-
アレキシサイミア(失感情症)
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アレキシソミア(Alexisomia: 失体感症)

penguins自分の「からだ」と向き合ってますか?

自分がどんな気持ちをもっているか、「こころ」に気づきにくいのをアレキシサイミア(Alexithymia) と呼ぶのでしたね。

では、自分の「からだ」のことはどうでしょう。
「自分のからだのことは自分が一番よくわかっている」
と言います。でも意外に、自分のからだが調子がいいのか悪いのか、疲れているのかいないのか、どんな状態なのかわかりにくくなっていることがあります。

また、自分のからだに向き合いたくなかったり、からだから眼をそむけたりしてしまうこともあります。ダイエットがうまくいかなかったり、リバウンドしてしまう背景にこんなことがありがちです。医療では、生活習慣病の背景として重要です。

このような、自分のからだの状態に気づきにくい、自分のからだと向き合えない、という傾向を心身医学では、アレキシソミア(Alexisomia: 失体感症)とよばれます。
“somia”という言葉は、からだを表す”soma” からきていて、オーラソーマとか、ソマティック〇〇の、ソーマも同じです。

「からだと自分とのコミュニケーションがうまくいってない状態」
ということもできます。たとえば、生活習慣病では自分のからだの状態をよく知って、生活習慣を見直し、上手につきあっていくことが薬以上に大切です。ところがそこから眼をそむけ、仕事や遊びに打ち込むことで、自分をごまかしてしまうのです。

このような傾向は、「からだ」よりも、知性や情報に偏った現代人にありがちですが、おきざりにされた「からだ」はやがて、今持っている病気の悪化や、重大な病気につながってしまうことがあります。

ただし、からだのことを極端に気にしてしまう、というのも問題です(これは心気的といいます)。あくまでも、適度に、上手に、仲良く、からだとつきあっていくことです。

自分のからだと向き合い、からだを知ることは、自分と向き合い、自分を知る第一歩。
よくからだにきいてみてください、自分のこころのことや、自分自身のことを。

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アレキシサイミア(Alexithymia: 失感情症)

DSC00043ひとの気持ちはわからなくても、自分のことはよくわかっている。そう思いますよね。

でも、自分がどんな感情をもっているか、意外と気づかないこともあるのです。心身医学では、自分の気持ち(感情)がわかりにくい傾向を
「アレキシサイミア(失感情症)」
といわれます。

たとえば、誰かに嫌がらせをされて腹が立つ感情(怒り)を抱いていても、それを認めたくないなど否定したい気持ちや、表現しにくい社会的な状況などによって、その気持を無意識のうちに抑えこんでしまうことがあります。

それが知らず知らずのうちに積もり積もって、心が悲鳴を上げることがあります。感情がちゃんと言葉のレベルまで上らなかったり、表現できなかったりすると、からだの症状として表現されることもあります。これが、心身症における、身体症状に心理的な因子が関与する機序の一つと考えられています(もちろん、心身症の機序はこれだけではありません)。

自分の気持ち(感情)を知るということは、自分を知る第一歩。
自分の中の、いろんな部分のコミュニケーション(つながり)をよくすることは、ストレスに対応する上でも重要なことです。

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