フランス文化とモントリオール: 時間と空間の狭間

モントリオールを含むケベック州の最大の特徴、それはフランス文化の地であるということ。
ケベック以外のカナダでは英語が中心なのに対し、モントリオールではフランス語が公用語であり、街の標識や看板も全てフランス語です。しかしながら英語も通じ、たいていの人は両方話せます。街並みもフランス、パリを思わせるところと、イギリス、米国風のところがあります。

この2大文化がここまで入り混じっているのは、世界広しといえどもケベック州以外にはあまりないのではと思います。ではその2大文化の違いは何か。Parc

米国とヨーロッパの違いについては…
「アメリカにはたんに空間があるだけだ。ヨーロッパ諸国は時間のうえに築かれている。」 
 (ベルナール・ファイ 「アメリカ文明論」)

「アメリカには空間があるけど時間がない。ヨーロッパには時間があるけど空間がない」
ともいわれるように、「空間」と「時間」がその鍵を握っているようです。

ヨーロッパとアメリカでは、「一昔」などと言った場合の時間のスケールが違うとも言われます。その他、具体的な文化や習慣の違いについてはこちら(英語)

さて、個々のいろんな違いはともかく、実際の印象として、空間はすなわち力・パワーとして、時間はすなわち深みや味わい深さとして肌で感じることができます。街などの雰囲気が、米国はパワフルなのに対して、ヨーロッパは深みや味わい深さを感じさせることが多くないでしょうか。

米国とその元の英国とはまた違うし、フランスと英国以外のヨーロッパともまた違う。
そもそも文化というのは複雑に入り混じっているので、明確に対比できるものでもないでしょう。しかし、そのルーツをたどって要素をみていくと、「時間」と「空間」にたどりつくのは興味深いです。

CityHall医学でも、特に近年は「機能性疾患群」といわれる、従来の検査ではとらえきれない、ストレスなども絡みやすい疾患が増えていて、それらをどのように捉えるかは議論が分かれています。その中で、それらを統合的にとらえて共通性を見出そうとする人(‘lumpers’)と、疾患を分類して個別性を重視する人(‘splitters’)があるという誌上議論がありました(Wessely S & White P, British Journalof Psychiatry, 2004)。

日本やドイツの心身医学は、西洋医学を否定せず積極的に取り入れながらも、心身の統合的見方がベースにあります。分割と統合をバランスよく取り入れてきたともいえます。

空間に重きをおけば分割する見方になり、時間に重きをおけば統合する見方になる。このどちらの見方も重要です。分割することで科学が発展してきたのも事実だし、何でも分割すればわかるというものでなく、統合的にとらえて始めて理解できるのも事実です。

幸い(?)、相対性理論では時間と空間は等価であり、もともと相容れないものではないとされます。英仏文化がほどよく混じりあう(対立する?)、モントリオールの街並みを眺めながら、そんなことを考えたのでした。


McGill大学の新学期

DSC_15904ケ月の長~い夏休みも終わり、9月の新学期。 バケーションの雰囲気から、一気に学内が活気にあふれ、騒然とし始めます。新入学生は世界各国から受験を勝ち抜いて選ばれた人たち。特に医学部はなおさらです。

「マギル大学の学部生は約24,000人、大学院生は約7,600人余りである。カナダ人入学者の高校での成績平均はカナダの大学中第1位であり、毎年世界160ヶ国以上から成績優秀者達が入学し、180ヶ国以上にマギル大学の卒業生がいる。」(Wikipedia 2013より)

そんな中、こちらでのボスであるProfessor Leon Glass の講義「生物学における数理モデル」も開講し、私も(優秀な?)学生に混じって聴講!日本の医学部や心理学科などで講義した経験と比べるると、(知ってはいたものの)あまりに雰囲気が違うのに驚いた。おしゃべりがないのは当たり前、「質問は?」と聞かれると必ず数人の学生が熱心に質問し、その内容も高度なのです。

日本だと、大学院はともかく、学部の場合はまず私語をやめさせ、注意をひきつけるのにエネルギーをとられます。もちろん講師の格?や話のうまさなどによって変わってきますが、それだけではありません。

つまり「日本の大学(生)はだめだ、米加の大学(生)はよい」といいたいのではありません。いろいろあるでしょうが、一つにはこちらの競争の激しさと、日本のとても厳重に護られた「よすぎる環境」もあるのでは。日本では日本語しか通用しない(のである意味護られている)というのもありましょう。一方カナダや米国では、入るときの競争もさることながら、入ってから数々の関門をパスして卒業するのは大変です。もともの素質が、いやでも入ってからさらにさらに磨かれるのです。

一概にどっちがいいとはいえません。ただ、国際競争力で日本の大学の地位が低くなっているのは事実。日本には、震災のときに見せた助け合いの精神や復興力(忍耐力)、世界でも一目おかれる和の文化、最近は陰りもあるものの高い技術力、クオリティの高いサービス力など、多くの誇れるものがあります。

東京オリンピックが決まり、国際社会での日本のあり方が模索される中、その素晴らしい魅力に磨きをかけたいところ。偉そうなことは言えませんが、そのためにも大学教育やアカデミアの面で、よりよいあり方が実現できればと思う次第です。