COLUMN <MIND-BODY THINKING.COM-こころとからだの対話->で「心身医学」と一致するもの

INDEX

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01) 心療内科と心身医学
PSYCHOSOMATIC MEDICINE / MIND-BODY MEDICINE

 心療内科とは
 心療内科・精神科・神経内科の違い
 心療内科とストレス
  心と身体の関係-心身相関-
 心と身体の関係-自律神経系
 
02) こころとからだの対話
Mind-Body Dialogue
 からだ・気づき・アプローチとは
 バイオフィードバック・Biofeedbackとは
 リラクセーションとは
 失感情症 (アレキシサイミア) その(1) アレキシサイミア その(2)
 乖離と統合-キャッチボールと対話のプロセス
 心理療法とからだ-「心」と「身体」
 唄を忘れたカナリヤは...

03) 機能性身体症候群

04) ストレス・アセスメント
STRESS PROFILE 
  心療内科とストレス
 ストレス・プロファイル Psychophysiological Stress Profile (PSP)
 ストレスに対する自律神経系の反応

09) その他

10) 心身医学の研究

バイオフィードバックとは...

バイオフィードバックでは、からだの変化をとらえる生理指標を使って「からだの声をきき」「こころ」とからだの対話」を行います。

「バイオ」=からだの
「フィードバック」=情報を返す
という言葉の通り、普通は気づかないからだの変化を測定し、それをフィードバックすることにより、からだの状態をよく知り、心身をよりよい状態に調整することを目指す方法です。

私達のからだは動的なものです。
「いま」のからだと「過去」-例えば1時間前-のからだとは違います。「未来」-例えば1時間後-のからだはまた変化しています。

心臓は常に鼓動を繰り返していて、血液は常にからだの中を循環しています。そのために末梢血管に脈が生じ、皮膚の温度は常に変化します。汗の量は体温を調整するために刻々と変動し、胃腸は蠕動運動を行い、筋肉は緊張と弛緩を繰り返しています。そして、心理的なストレスによって、これらの動きは大きく変化します。

このように常に変化しているからだの状態をとらえる手掛かりとして、さまざまな指標が考えられますが、バイオフィードバックでは動的な変化をとらえやすい精神生理学的指標を主に用いて、それを治療的に扱います。



具体的には、
・ 筋電図 (肩こりや頭痛などに関係する、筋緊張をみる)
・ スキンコンダクタンス (精神的な緊張、動揺や安定性、情動の緊張やリラックスをみる)
・ 皮膚温 (痛みやむくみに関係する、血液循環をとらえる)
・ 容積脈派 (末梢血管の収縮・拡張から血液循環をとらえ、脈拍数をみる)
・ 呼吸 (こころとからだの接点である、呼吸のパターン・深さ・速さをみる)
・ 心電図 (血圧や動悸などに関係する、心臓のはたらきをみる)
・ 心拍変動(発汗、ほてり、ふらつき、腹痛、便秘などいろいろな症状に関係する自律神経の働きみる)
などを同時に測定します。
どれも衣服を着たままで、指先などにテープを貼るだけで簡単に計ることができ、痛くもかゆくもありません。

バイオフィードバックは、客観的な指標(=「からだとこころの道しるべ」)で確認しながら、心身を調整できるのが最大のメリットです。リアルタイムで確認することで、からだの感覚と実際の状態とのギャップを埋めて、正しい調整を目指します。

そして、もっと大事なことは、それを通して自分のからだの状態に気づくこと、すなわち「からだの声をきく」ことです。自分のからだと十分に対話し、「こころとからだの対話」を進めていきましょう。

バイオフィードバックは、からだの状態を客観的にとらえて、それを主観的な体験に戻す過程を含んでいます。主観的に体験されたものと、客観的に表示されたものが、まるで対話を行うようなイメージです。

客観的に表示されたものは、セラピストとクライエントで共有することができます。
このようなプロセスを通して、からだの声を聞き、こころの声に耳を傾けるのがバイオフィードバックです。

以上をまとめると
バイオフィードバックとは
・刻々と変化している
・今ここにあるからだの状態を捉えて
・からだの状態とその変化の過程を
・からだの持ち主に
・いまここでフィードバックし
・それを治療者と共有し
・からだの状態を知り
・からだの声を聞き
・からだを望む状態に調整したり
・気づきを深めたりする方法

...です。

自律神経というのは身体のいろんな機能を調整している神経です。例えば心臓をバクバクさせたり抑えたり、汗を出したり、血管を開いたり閉じたり、瞳孔を開いたり閉じたり、胃腸の動きを調整したりしている。自律神経の働きが乱れると、いろんな症状が出てくると考えられています。

このような自律神経の乱れからくる病態をよく「自律神経失調症」などといわれます。
しかし、この「自律神経失調症」というのはクセモノです。
一体全体自律神経がどう「失調」しているのか、おそらくはあまり誰も分かっていません。
また、ホントに自律神経が「失調」しているのかどうかすらわからないまま、この病名がつけられたりしています。

そんな中で、慢性的なストレスが関連した心身症の患者さんにおける、自律神経系のストレスに対する反応を、健康な人と比べて調べてみました。

すると、心身症の患者群の、自律神経系の知的作業ストレスに対する反応性が低下していることを示す結果がでてきました(「心身医学」45,685,2005⇒Publication)。

すなわち、心身症(この場合は慢性的なストレスを受けた人達と解釈してよい)患者では、自律神経の反応が鈍くなり、外的状況に適切に対応できなくなっているようなのです。
このことと、個々の心身症の症状がどう関係してくるのかはまだはっきりはわかっていませんが、一つの大きな要因となっていることは間違いなさそうです。

このあたりがもう少しはっきりしてくると、心身症の評価や治療へも応用できそうで、現在研究を進めているところです。

「身体を扱う」ということと「心を扱う」ということの関係について触れてみます。

現代の西洋医学では「心」は「精神」として分離し、「身体」とは別に扱うのが当然とされてきました。心理療法では「心」を扱うのが一般的です。

しかし、西洋医学のような分割主義では本質をとらえきれないことから、人間を全体としてとらえようとする動きがいくつか出てきました。心身医学や統合医療、ナラティブ・ベイスト・メディスンなどです。
いずれも心も身体も含めた全体から捉えようとするものです。

東洋では古来「心身一如」という概念があり、心と身体は切っても切り離せない、表裏一体のものであるとされてきました。わが国では「身(み)」という言葉があり、心や身体という概念を超えた統合体としてとらえられています。一方、西洋では、心と身体を分けた上で、その関係性を見ようとする発想が根強いです。

我が国にユング心理学を紹介した河合隼雄は、いくつかの文献で物理学者のデイビッド・ボームの比喩を引用して、心と身体の一体性について述べています。
「透明な四壁で囲まれた水槽の中を、一匹の魚が遊泳しているとする。このとき互いに直角になる二つの側面からその魚の姿を撮影し、それを二枚のスクリーンに映写したときの、二枚のスクリーン上の二つの映像が心と身体であり、魚が人間の実体である。」

二つのスクリーンの映像は活動する実体のある面を映し出していて、それが「心」と「身体」の状態であり、活動する実体はスクリーン上の二つの内容より高次元のものであって、この存在が人間存在である、と述べています。

すなわち、心と身体の関係性は、別個のものが互いに関係し合うというものではなく、一つの実体のある側面を投影したものということです。このように考えると、「心」と「身体」は、本来分けられるものではないことが分かります。

従って、意識するしないにかかわらず、「身体を扱う」ということは「心を扱う」ことになり、「心を扱う」ということは「身体を扱う」ことになるのです。

例えば、医師が身体的な診察を行うとき、聴診器を当ててもらうだけで安心した感じがする、という経験のある人もあるでしょう。身体の力を抜くリラクセーションによって、心の壁も取れて、いろんなことが話しやすくなる、ということもよくあります。

心理療法では「心」を扱いますが、その「身体」に及ぼす影響は無視できません。心理的な状況が変化したときに、倦怠感や動悸、胃痛などの身体症状が改善することはよくあることです。

このように、「身体を扱う」ままが「心を扱う」ことになり、「心を扱う」ままが「身体を扱う」ことになる、という観点を持ちながら、心身を扱うということが重要です。

心身症の患者に アレキシサイミア(Alexithymia)=失感情症
の傾向があると提唱したのは、アメリカのSifneos(シフネス)という精神科医です。このような傾向のある人たちには従来の分析的な心理療法が行いにくいことなどから、これらの人たちには別の心身医学的アプローチが必要であると考えられました。

以後、アレキシサイミアは心身症の病態の一つの重要な要素と考えられてきました。
アレキシサイミアの特徴を簡単に言うと

・自分の感情や、身体の感覚に気づくことが難しい(鈍感である)。
・感情を表現することが難しい。
・自己の内面へ眼を向けることが苦手である。

といったことが挙げられます。すなわち、内面の感情や感覚の気付きが低下して、感情を伝えることも障害されている状態をいいます。

これには、発達早期の母子相互の感情的な交流が障害されていることが関与しているとも言われています。また、家族病理との関係や社会文化的な因子との関連もあると言われています(感情の表現をあまりよしとしない民族に、アレキシサイミアの傾向が高いなど)。

生物学的なメカニズムとしては、
・感覚や感情を司る脳幹部や大脳辺縁系と、認知や言語機能に関与する大脳皮質との伝達機能障害が関係している
・左右大脳半球の機能の解離がある
・右大脳半球で何らかの機能障害がある
などの説があります。

感情の気付きや表現に乏しいと、徐々に内面に抑圧された感情がたまりやすくなり、身体症状化することになります。そういう傾向がもともとあって心身症になるという場合もありますが、あまりにストレスフルな状況の中で、「そうでもしなければやってられない」という心理機制から、アレキシサイミアの状態になることも考えられます。

「特に問題ありません」「全て何事もうまく言っています」といいながら、説明できない身体症状が続いている人達の背景に、このような病態が隠されていることがあります。このような場合は、少しでも感情を表出できるように援助することが大切になってきます。

このようなアレキシサイミアは アレキシソミア(Alexisomia)=失体感症
とも深く関係しているとされています。実際、感情と身体の感覚への気づきとは深く結びついているようです。
このアレキシソミアは、心身症においてさらに重要な概念なので、別の項に述べることにします。

アレキシサイミア その(2)

本来身体をより適切な状態に持っていってくれるはずの自律神経が、症状の持続に関与するという状態になってしまっている場合は、意識的に自律神経のコントロールを試みることもあると、心と身体の関係-自律神経系-で述べました。

そのような具体的な方法としてリラクセーション法やバイオフィードバックなどがあります。自律神経系や筋緊張などの身体の状態をコントロールすることで、身体の状態をより適切な状態に保ち、本来のバランスを取り戻すことにつなげようというわけです。


◇リラクセーションとは◇

「リラクセーション」とは、本来は「弛緩」とか「緩和」という意味で、「緊張」に対する言葉です。つまり簡単に言えば身体や心を緩めることです。

「リラクセーション反応」(→BOOKSHELF)の著者であるハーバート・ベンソン博士は「闘争・逃走反応」に拮抗するのが「リラクセーション反応」であり、リラクセーション反応によって闘争・逃走反応を中和することができると述べています。
 
「闘争・逃走反応」というのは動物の世界での表現であって、秩序の整った?現代において「逃走」が必要という場面はそうそうありませんが、代わりに人間関係などから「緊張」を強いられる場面はよくあります。
ですから、「闘争・逃走反応」というのは、現代の生活で言えば緊張を強いられるようなときに生じる身体の反応のことと考えればよいでしょう。

例えば心拍数が増える、呼吸が浅く早くなる、瞳孔が開く、手に汗を握る、などです。これらは主には自律神経の中の、交感神経といわれるものの緊張が相対的に大きくなって起こる反応です。(交感神経と拮抗するのが副交感神経というもので、これはどちらかというと身体を休める方に作用する神経系です。)

このような身体の反応は、状況に対応する為に必要な反応であり、それ自体悪いものではありません。しかし、この緊張状態が日常的に続き、休息と比較して極端に大きかったり、休息すべきときにも緊張が続いたりするようになると歪みが生じて、いろんな身体症状や精神症状を引き起こすことがあります。

身体症状が持続した場合は心身症の状態になることもあります。精神症状としては不安障害やうつ、不眠などが代表的です。社会的な場面において過度の緊張が起こり、それがコントロールできないような状態は「社会不安障害」とか「対人緊張」と言われることもあります。そこで、過度に多くなった「緊張反応」を中和する「リラクセーション」が必要になってくるのです。


◇バランスとメリハリ

 ただ、ここで一つ注意しておかなければならないことは、「心地よい緊張」というのもあるということです。「緊張」が悪くて「リラクセーション」が良いから「リラクセーション」の方に持っていこう、という単純なことではないのです。

緊張にもいろいろあり、リラクセーションにもいろいろあると考えられます。しかし、複雑な要素を考えていくと混乱してしまうので、わかりやすいように単純化して二つの反応として表現しています。

一番大切なことは「緊張」と「リラクセーション」のバランスとメリハリです。
緊張すべきときに適度に緊張し、休むべきときに適度にリラックスする。そのバランスとメリハリを自分でつける方法がリラクセーション法です。

自分でコントロールできる、ということが大事です。それには前提として自分の身体の状態を的確に知ることが必要です。緊張や弛緩の感覚が敏感な人もあれば、そうでない鈍感な人もあるでしょう。
心身症の患者さんにおいては、そのような感覚が健康な人に比べて敏感すぎたり鈍感すぎたりする傾向があることが分かってきています。

そのような感覚を適切なものにして、セルフコントロールを目指すのが、心身医学的なリラクセーション法です。様々なリラクセーションの方法がありますが、それぞれに長所と短所があり、自分に合った方法を見つけることが大切です。

リラクセーション法はその使い方が大事です。
リラクセーションの習得に熱心になってしまってかえって緊張がとれない、という笑い話のようなことが実際にはしばしばあるので注意しましょう。

からだの声をきく、具体的なアプローチの方法です。
これには決まった答えはなく、日々模索しているところですが、現在のところは次のような方法を適宜組み合わせて行っています。

(1) 何らかの身体からのアプローチ(主にリラクセーション法)を行う。
 自律訓練法、リラックス呼吸法、筋弛緩法、場合によっては催眠など。
 もし治療者が何らかの代替療法を行える場合は、それを用いることもあります。

(2) バイオフィードバックを用いる。
 身体で起こっている変化を眼に見える形にします。
 下記の例を参照して下さい。

(3) 心身医学の枠組み
 枠組みとして、治療者クライエントの関係も考慮した、心身医学的アプローチの枠組みを用います。

(4) (1)-(3)のアプローチで出てきたことをコンセプトに基づいて扱う
 どこまで扱うかは治療者の力量や枠組みによって変わります。


例)バイオフィードバックを中心に行う場合(他の場合でもかなり共通するプロセスです)。

1) バイオフィードバックによって、普段は気づかない、刻々と変化するからだの状態をとらえます。フィードバックされた身体の状態と、自分で感じるからだの感覚との間の乖離に気づくことが手掛かりになって、「身体との対話」が可能になります。
また感情によって動く指標を用いる場合は、一種の外在化の形になります。

2) 身体との対話を通して身体感覚や心身相関など、いろいろな気づきが深まり、それを治療者と共有します。そのような気づきは、やがて症状の意味に気づくことにつながり、自己の統合がなされて本来の自分を取り戻します。

3) 感情の外在化を行った場合は、自己の感情に気づき、それを治療者と共有することでカタルシスなどの心理的プロセスが起こります。
 また、身体の状態がどのような感情と結びついているかを確認する中で、症状の意味(身体が伝えてくれていること)に気づき、自己の統合へと進みます。

心身症や機能的な身体疾患では、自分の感情に気づきにくくなったり、からだの感覚に気づきにくくなったりすることが、病態に関わっていると言われています。

アレキシサイミア(Alexithymia; 失感情症)は感情の気づきや表現が困難で、内面への気づきに乏しい状態です。
アレキシソミア(Alexisomia; 失体感症)は身体感覚の気づきが低下した状態です。

心身医学の草分けである故池見ら(1986)は
「アレキシサイミアのケースでは感情だけでなく、身体感覚の気づきも低下していることが多い」
と述べ、その状態をアレキシソミアと呼びました。
一方で、身体の感覚が過敏になるという報告も多くあります。

現代社会における生活の中では、ストレス、アンバランスな生活、過度の適応、行動の歪み、などからさまざまな乖離やバランスの崩れなどが起こってきます。例えば、感情と知性のコミュニケーションがうまくいかない、身体と知性のバランスが悪くなる、などです。慢性的なストレスにさらされた状況では、感情や身体の気づきを鈍くすることで自分を守る(=防衛)ということもあります。

感情の気づきや表現が低下した状態では、本能的なレベルの情動が感情として発散されないために抑圧され、抑圧された感情が身体の症状となって表れるということが考えられます。それが、身体症状の過敏性という形になることもあります。

そのようなケースでは前述のように、身体感覚の気づきも低下していることが多く、身体の声に気づかないことが症状の持続因子になっていることがあります。

このような状態では、自分のからだの感覚や感情に気づいていくというプロセスや、その意味を知ることが重要です。
言い換えれば、無視していた、あるいは、聞かないようにしていた「身体の声」「心の声」に耳を傾け、心や身体とのコミュニケーションを回復するプロセスです。そして、身体の症状の持つ意味(からだが伝えていてくれること)を知ることが重要です。

「身体の声」が聞けるようになると「心の声」にも気づきやすくなります。その第一歩として「身体の声」に耳を傾けるところから入るのが「からだ・気づき・アプローチ」です。

例えばバイオフィードバックでは、普段は気づかない、刻々と変化するからだの状態をとらえます。フィードバックされた身体の状態と、自分で感じるからだの感覚との間の乖離に気づくことが手掛かりになって、「身体との対話」が可能になります。バイオフィードバックは、いわば心と身体をつなぐ「架け橋」です。

「身体との対話」を通して、感情との対話や心との対話もできるようになり、心身の本来の姿を取り戻していきます。

心と身体をつなぐルートの中でも比較的馴染みがあると思われる自律神経系について、心身医学の立場から述べたいと思います。この自律神経系については生理学的な立場からいろいろな専門的内容があると思いますが、ここでは細かいことは省略させて頂きます。

自律神経の「自律」というのは、運動神経などのように意識的に働かせることができるものではなく、状態に応じて「自動的に」調節される神経系ということです。

そして自律神経には交感神経と副交感神経とがあります。
交感神経は、身体を活動、緊張、攻撃などの方向に向かわせる神経で、手に汗を握ったようなときにより働いている神経です。副交感神経は内蔵の働きを高めたり、身体を休ませる方向に向かわせる神経です。

例えば、自律神経によって調節されるものの一つに心拍数があります。
普通は1分間に約60~80回くらいの心拍がありますが、運動をするとそれが100から150くらいに増えます。運動以外でも、例えば人前で緊張したりすると「ドキドキする」などと言いますが、そのようなときには心拍数が安静時よりも上がっているのが普通です。

そのようなときには交感神経の緊張が副交感神経の緊張を上回った状態にあると考えられます。ぐっすりと眠っているときには逆に副交感神経優位となり、その人の変動の中で最も低い心拍数に近い状態になっているでしょう。

このように、自律神経の働きによって、身体の状態や周囲の状況に反応して心拍数は増えたり減ったりします。例えば運動をしたときには身体に多くの血液を送る必要があるので、自動的に心拍数が上がります。「これから運動をするから心拍数を上げておこう」などと、意識的に上げるものではないし、通常はできるものでもありません。

このように本来自律神経というのは意識しないでも勝手に調整されて、身体をより適切な状態に持っていこうとしてくれる、言わばありがたい神経なのです。
これをいちいち自分の意識で調整していては大変です。まして、眠っている間に調整などできるものではありません。

しかし、勝手にしてしまうことで、困ったことになることがあります。例えば「慢性疼痛」という病態があります。これは、何らかのきっかけで疼痛が生じ、それが慢性化して、通常の内科、整形外科、麻酔科などの治療でも改善が難しくなった病態を言います。

この慢性疼痛では疼痛のある部位を中心とした筋肉の緊張が見られ、末梢の血流が悪くなり、疲労物質などが滞り、皮膚温も低下してさらに疼痛が増し、それによってさらに筋緊張や血流の低下が生じる、という悪循環に陥っていることが多いのですが、この悪循環に交感神経の緊張が関与していることがあります。

痛いとどうしてもリラックスはできませんから、交感神経は緊張しがちで、思考もネガティブになってしまいます。ネガティブな思考は周囲との関係も悪化させますから交感神経の緊張が生じやすくなります。交感神経が緊張すると筋肉の緊張や末梢の血管の収縮による血流の低下や皮膚温の低下を引き起こし、上の悪循環を加速させるのです。

本来身体をより適切な状態に持っていってくれるはずの自律神経が、痛みの持続という期待しない状態に関与してしまっているのです。
このような状態では何とか意識的にでも交感神経の緊張を取り除く方向に持っていくことが必用になります。そのような具体的な方法としてリラクセーションバイオフィードバックなどがあります。

本来自動的に調整される自律神経を、半ば意識的にコントロールすることで、身体の状態をより適切な状態に保つことができ、本来のバランスを取り戻すことにつながります。

心と身体の関係

英語では、"mind-body interaction" などと言います。
専門的な言葉では「心身相関」です。

心身相関は、心療内科の重要な概念の一つで、これだけで何冊かの本ができるくらいの内容なので、とても全てを述べることはできませんが、その中のいくつかについて述べたいと思います。

心と身体の間に、密接不離な関係があることは、今日では誰もが認めるところです。
ジョン・A・シンドラーというアメリカの医師が書いた「こころと身体の法則」という有名な本があり、最近その日本語訳が出ました。

その中には自律神経系や内分泌系(ホルモン)を通して、感情や悩みが如何に身体に影響を及ぼすかが、分かりやすく述べられているので、興味のある方は参考にして下さい。
その中でシンドラーは「身体的変化を起こさない感情はありません」と述べているほど、心と身体は密接な関係にあります。

心と身体を結ぶルートとして上述の自律神経系と内分泌系に加えて、今日では免疫系が言われています。
それぞれについて、さまざまな研究がなされています。

その中の自律神経系については、「自律神経失調症」などと言われたりもするので、少しは馴染みがあるかもしれません。これについては、次回以降に取り上げたいと思います。

内分泌系は身体のさまざまな機能を調整しているホルモンを分泌する系で、この異常としては、甲状腺機能亢進症(バセドー病)や低下症(橋本病)などが比較的知られた疾患です。ストレスとの関連では、コルチゾールが知られて
います。

免疫系は身体の防御システムで、ストレスや抑うつによって、この防御機能が弱くなり、病気に対する抵抗が弱まって病気になりやすくなる、といったことが知られています。


「ストレスが原因で...」「心因性...」?

さて、この心と身体の関係について、よく「ストレスが原因で...」などと言われたり、「心因性...」と言われたりします。「ストレスが原因で胃潰瘍になった」とか「心因性頭痛」「この症状は心因性のもの」など。

このような言い方の背景にあるのは、ストレスや心が原因で、結果として病気や身体的不調を招くといった直線的な考え方ですが、心と身体の関係はそんなに単純なものではありません。

たとえば、「仕事のストレスが原因で胃潰瘍になった」と言う場合。
この場合、胃潰瘍による不快な症状がストレスとなって仕事がうまくいっていない、ということも考えられます。同じ仕事のストレスがあっても、胃潰瘍にならない人もいます。

つまり、もともとの体質的なものや、食事の不摂生、生活習慣なども影響している可能性があります。また、その人の行動パターン(完璧主義など)も影響しているかもしれません。

仕事のストレスそのものより、仕事が忙しくて食生活が不規則になっていたり、睡眠不足が続いていた影響が出た可能性もあります。仕事のときにコーヒーを飲み過ぎて、胃壁が荒らされたのかもしれません。

このように、「仕事のストレス」→「胃潰瘍」と1対1で単純に結ばれるものでもないし、一方通行でもないということです。このような直線的なモデルに対して、相互作用や多要因を考慮したモデルを「円環的モデル」などと言われます。

すなわち、上に述べたような生活習慣、食生活、ストレス、仕事、行動パターンなどさまざまな要因と胃潰瘍という身体的病態とは直線的な関係にあるのではなく、それぞれが互いに複雑にからみあって一つのシステムを形成しているのです。

そして、それぞれの要素において相互作用があり、さらに、全体があいまって生じてくる作用もあります。だから、その中の一つだけを切り出して論じることはできないということです。

上の例だと、様々な因子の中の「仕事のストレス」だけを取り出して、仕事のストレスだけがなければよいかというと、そうではありません。仕事のストレスがなくなったらやる気もなくなって、うつ病などの別の病気を招くことも考えられます。

このような場合は、全体をみながら一つ一つの要素もみていく、というアプローチが必要です。
全体のシステムをよい方向に持っていくという視点が重要になるのです。

「心療内科とは」で心身医学というのは...
・病気を身体だけでなく、心理面、社会面をも含めて、
・それらを分けずに、
・それらの関係性を評価しながら、
・総合的・統合的にみていこうとする医学
ということができると述べましたが、この「関係性を評価しながら、総合的・統合的に」というのは上記のことを言っているのです。

「ストレスが原因」というような単純なものではないということがお分かり頂けたでしょうか。

心療内科とストレス

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◇心療内科とストレス◇

ストレスとは何か、それにどう対処すべきかという問題は心療内科にとって、非常に重要な問題ですが、同時に非常に難しい問題であります。そもそも、ストレスそのものは悪ではない。しかし、過度のストレスが心身症の主要な原因になったり、ストレスによって精神疾患が誘発されることはよくあることです。

 "私はストレスで参っています" "ストレスにどう対処すればいいんでしょうか"という声をよく聞きます。結論的にはストレスを前向きにとらえ、むしろそれを生かして進む原動力としていく、それが出来れば大成功です。

この領域で始めて「ストレス」という言葉を使った、ハンス・セリエは
「ストレスとは生活のスパイスである」と言っています。
しかし、どうすればそうできるのか、そもそもそれができないから悩んでいるのだ、という訴えが返ってきそうです。

まず、一つよく理解しておかなければならないことは、周りの状況に対する自分の見方や、考え方、とらえ方がストレスを作っているという事実です。
たとえば、職場に嫌な上司がいて、それがストレスになっているとしましょう。そういう同じ状況でもそれをストレスと感じて参ってしまう人と、別にそのように感じることもなくうまくやっていく人とがあります。

だから、嫌な上司から逃れれば全てが解決するというものではないというのはおわかりでしょう。おそらくその上司から逃れたとしても自分を変えなければ、別のまた"嫌な"上司で苦しむことになるでしょう。

それをストレスと捉えてしまう状況が変わらなければ、という側面があります。さりとて、今のままの状況ではどうしてもそれはできないという場合も多いもの。そんなときは、環境を変えるのも一つの策ではあります。しかし、それだけでは先ほども言ったように、また別の人が嫌になる。

だから、環境を変えるのは自分含めた状況を変えるきっかけにするということです。
その為に環境を変えるのであって、自分はそのままで環境だけ変えるのでは状況は好転しないでしょう。環境を変えて自分が変われそうだと思ったら、可能なら環境を変えればよいのです。
しかし、逆に変えると余計にストレスが増えることにもなりかねません。例えば今の上司が嫌だから別の部署に変わったらもっと嫌な上司だったということもあり得ます。

要は自分を含めた状況が変わることが肝要ということですが、どうすれば変わるのか。無理して自分を変えようとしてもなかなか変わるものではありません。

薬を使って今よりもう少し周囲に対する反応の感度を下げるとか、しばらく休養して自分を見つめ治し、エネルギーを回復した上で前向きに考えられるようにしていくとか、仕事をしながらリラックスする法を身につけるとか、一人で抱え込まないで信頼できる第三者に相談し、気分的な負担を軽減させたり、状況を変える手助けをしてもらうとか。いろいろな方法があります。

自分とはどういうものかをよく知るということも大事です。弱点はすなわち特性であり、長所にもなり得ます。最終的には自分の特性、すなわち「自分らしさ」を真に生かしていけるような生き方ができれば、ストレスと感じていたことも前向きに生かせるようになれるでしょう。

そういういろんな方法を提示し、抱え込む負担を専門家として受けとめ、負担を軽減し、いろんな手法を実践していく手助けをするのが、心療内科医のささやかな努めの一つであると思います。
ただし、心療内科医はあくまで手助けをする立場であって治療の主体は患者さんにあるということが重要です。

どこがどう違うの?

心療内科と精神科や神経内科との違いについて知らなければ受診できない、ということではありません。しかしこれをよく理解することで、あちこち回らされて時間やお金を無駄にしなくてすむので、知っておいて損はないでしょう。

心療内科は主に心身症を扱います。
心身症については「心療内科とは」で詳しく述べたので、参照して下さい。心身症は身体疾患ですから、身体の症状が主訴(主たる訴え)ということになります。

精神科は精神疾患を専門に扱う科です。
わかりやすく言えば心の症状、心の病気を扱う科であるということです。心の症状とは、不安、抑うつ、不眠、イライラ、幻覚、幻聴、妄想などのことです。

精神症状、精神疾患に関する専門家が精神科医ですから、そういう病態の場合には、たとえ軽症であっても精神科が適当ということになります。これにはうつや統合失調症はもちろんですが、神経症や不眠症も入ります。
そのような疾患で身体症状を伴う場合もありますが、基本的に精神疾患がメインであれば精神科ということになります。

神経内科は脳神経系の疾患を取り扱います。
脳血管障害やパーキンソン病、ニューロパチーなどの神経の病気を扱う科です。
この場合の「神経」というのはいわゆる「神経が太い」とか「神経質」という神経ではなく、実際に筋肉などの組織につながって、信号を伝えたりしている実体のある「神経」のことです。

神経内科はそれほど混乱されることはないのですが、心療内科と精神科は紛らわしく、混乱があるようです。ごく大まかに言ってしまえば、身体の症状がメインならば内科または心療内科、心の症状が主体ならば精神科ということになりますが、実際にはどちらか紛らわしい場合もあります。
紛らわしい場合にはどちらかに相談することで、より適切なところへ紹介され
ることになります。


心療内科と精神科

よく町の開業医(クリニック)で、「心療内科」という標榜がなされていても、実際は精神科である、ということがあります。なぜそうなるのかというと、「精神科」とすると敷居が高く、患者さんが来にくいからということのようです。
これはしかし、混乱の基にもなっています。

「心療内科」という標榜はもともと心身医学から出てきた言葉ですから、それを「軽症の精神科」と勝手に解釈して使うべきではありません。
もし、「精神科」という名前がよくないならば、より親しみやすい名前に変えるのが適切でしょう。

「心療内科」は精神医学とは違うところから出てきていますので、その名前を使って精神科の医療を行なうのは問題があります。「耳鼻科」と標榜しながら眼科医が診療するのと同じになってしまいます。

心療内科は「ミニ精神科」「軽症の精神科」とは違う
ということをよく覚えておいて下さい。
精神科の専門医であっても心療内科をほとんど知らない、研修も受けたことがないという医師は沢山います。
逆に、心療内科の専門医であっても精神科の研修を受けていない医師も多くあります。一人でいくつもの専門家にはなれないので、そのこと自体は全く問題ないのですが、標榜は自分が研修を受けた専門の科にすべきでしょう。
その上で、両者の連携も非常に重要です。

では、受診する側からはどう見分ければよいのでしょうか。
標榜が「内科・心療内科・...」となっていれば、本来の心療内科医か、内科医で心療内科を学んだ医師が担当すると考えられます。「神経科・心療内科・...」などとなっている場合はまず精神科医が担当と考えられます。
ですから、身体の症状がメインならば前者を受診すればよいし、心の症状がメインならば後者を受診すればよいということになります。


心療内科は内科の一分野と考えることができます。

この方が理解しやすいかもしれません。つまり、内科にも消化器内科、呼吸器内科、循環器内科、神経内科というように専門科があり、それぞれが連携して治療を行っています。その中に心療内科もあるということです。心療内科医は基本的に内科医であるということです。

ですから、心療内科医でありながら、風邪や高血圧、糖尿病といった一般内科的な病気をプライマリケアのレベルで診ることができない、ということは考えられません。消化器内科医といっても一般内科的な疾患を診ることができ、その上に専門の消化器をやっているのと同じです。

しかし、心身医学のより本質的なところは、疾患の捉え方やアプローチの仕方にあります。
すなわち、心身医学は
「こころとからだ、そして、その人をとりまく環境等も考慮して、それぞれの要素を分けずに、その関係性(心身相関)も含めて、統合的にみていこうする医学」
ということができます(⇒心療内科とは)。

このようなアプローチは内科だけでなく、耳鼻科や整形外科などの他の科でも応用できます。その場合は「心療耳鼻科」とか「心療整形外科」と呼ぶのでしょうか。まあ、呼び方はどうでもいいのですが...。
少なくとも実際の医療の現場では、そのようなアプローチを必要とするケースが増えているというのは紛れもない事実です。


最後にまとめて、受診科の選択の例を挙げると...。

○身体の症状がメインだが、検査をしても異常がない、あるいは、経過からストレスなどが関連していると思われる。→心療内科
○不眠や不安、イライラ、抑うつ、幻覚など、心の症状がメインである。→精神科
○身体の動きがおかしい、ふるえる、傾く、力が入らないなど神経の異常が
疑われる。→神経内科。
○身体の症状と心の症状が同じくらいあり、どちらがメインか区別がつかない。
 →いろんな可能性があるので、まずは内科を受診して器質的な疾患を除外する。
あるいは、内科・心療内科・精神科のうちのいずれかにまずは電話で適切かどうか相談する。
○最近ストレスを強く感じることがあり、それ以降身体の調子が悪くなったが、それ以前は全くそんなことがなかった。→心療内科

といったことになります。もちろんこれ以外にもいろんなケースがあります。
また、施設によって独自の事情もあるので、これが全てに当てはまるというわけではありません。実際には選択に迷うことも多々あるでしょう。
そんなときは、無駄足を運ぶ前に、まずは医療機関に電話で問い合わせをしてみることをお勧めします。

心療内科とは

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心療内科は心身医学を内科の領域において実践する診療科です

心身医学というのは...
・病気を身体だけでなく、心理面、社会面をも含めて、
・それらを分けずに、
・それらの関係性を評価しながら、
・総合的・統合的にみていこうとする医学
ということができます。

分かりやすく言えば、
「こころとからだ、そして、その人をとりまく環境等も考慮して、それぞれの要素を分けずに、統合的によくしていこうとする医学」
と言えるでしょう。


心療内科が主な対象とするのは心身症です。

心身症の定義は次のようになっています。
(日本心身医学会, 1991)
「身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的な因子が密接に関与し、器質的、ないし
機能的障害が認められる病態をいう。
ただし、神経症やうつ病など他の精神障害に伴う身体症状は除外する。」

少し難しい定義ですね。
まず、「器質的障害」というのは胃炎や気管支炎などの「炎症」や癌をはじめとする「腫瘍」など、物理的(物質的)に異常が生じる障害のことです。これはレントゲンやカメラなどの検査でとらえられることがほとんどです。

もう一つの「機能的障害」というのは、器質的な異常がなく、従ってレントゲンやカメラなどの検査をしても異常が見つからないけど、その動きや働き(機能)が障害されているものを言います。

例えば消化管でいうと、癌や炎症はないけど腸の動きに異常があり、その為に腹痛や便秘・下痢などの症状が出る......"過敏性腸症候群"などがこれにあたります。

このいずれにも心理・社会的因子が関与することがありますが、特に二つ目の「機能的障害」に関与することが多いです。(これらの関係を「心身相関」と言います。)器質的・機能的障害に心理・社会的因子が密接に関与している病態を心身症として扱うことになります。

よく、「ストレスが関係している」などと言われるのは、心理的因子が関与しているということになります。ストレスだけでなく、幼少時の体験や性格、社会的スキルや対処方法に問題がある場合も同じです。
社会的因子というのは、会社での労働環境が劣悪であるとか、家族関係に問題があるとか、災害のトラウマなどを指しますが、心理的因子とはっきり区別することはできません。

これらは多かれ少なかれ、病気に関与しているものなのですが、その割合が大きく、その面を考慮した方が適切に治療できる場合(もっといえば考慮しないとどうしようもない場合)に「心身症」として扱うことになるのです。
ただし、心理・社会的因子と病気との関連は、単に「心が原因で病気が生じる」というような直線的なものとは限らないという点に注意する必要があります。

神経症やうつ病などの精神障害でも身体症状が出ることがありますが、これは「除外する」となっています。それは精神科の領域になるからです。心身症はあくまで、「身体疾患の中で」とあるように、身体疾患の一つなのです。
以上が心身症の定義です。


心身医学がでてきた背景

日本の医学は西洋医学に基づくものですが、それは身体を各部分に分けて、それぞれの専門家がそれぞれのパーツを科学的にアプローチしていこうとするものです。

たとえば、内科の中でも狭心症などの心臓関係は「循環器内科」、胃潰瘍・胃炎などの内臓関係は「消化器内科」、喘息などの呼吸器関連は「呼吸器内科」、ホルモンの異常などによるものは「内分泌内科」、といった具合です。これも非常に大事なことで、心身医学はこれを否定するものでは決してありません。

しかし、病態が複雑化し、慢性的病態や生活習慣病、機能的病態などが増えてきて、そのような捉え方だけでは対応できないものが増えてきたのです。そこで、そのような病態により適切に対応できる医学が必要となり、心身医学が出てきたのです。

上に述べたような心身症を心身医学的に扱うのが心療内科である、ということです。
もう一度、分かりやすくまとめて言えば、
「こころとからだ、そして、その人をとりまく環境等も考慮して、それぞれの要素を分けずに統合的によくしていこうとする医学(医療)」
が心療内科であり心身医学である、ということになります。

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