こころころころ

こころころころ、ころころめぐる。

人間のこころは常に変わりどおしである。
あんまりころころ変わるから”こころ”と名付けられたそうである。

人のこころはとどまるということはない。どんなに固い決意をしても、固い約束を交わしても、そのこころそのものが変わるのだからどうしようもない。誰がはじめから離婚しようと思って結婚するだろうか。「この人と一生一緒にやっていこう」そう思って結婚する夫婦の三分の一が離婚する。それは人間のこころが如何にあてにならないものであるかの証である。

人間は何か確かなものをつかみたいと思って求めている。確かなものというのは続くものと言ってもよい。
確かな愛、財産、地位、名誉・名声…。政治家は自分の地位を確かなものにするのに躍起である。企業家達は、今までのように自分の会社にすがっておれば安心と言うわけにいかず、何か手に職をつけねば、とあせっている。転職を目指す人はなおさらである。
最近女性で医師を目指して医学部に再入学する人が増えているそうである。女性にとって”手に職をつける”ということは、この社会で生きていく上では男性以上に重要なことなのだろう。

しかし、それらは本当に確かなものなんだろうか。
どんなに高い地位を得ても、一瞬にして崩れ去る例は後をたたない。昨日まで”先生”と言われていた人が今日は鉄格子の中ということもいくらでもある。人気歌手や芸能人がみずから命を絶つ例も後を絶たない。ものや地位を得れば得るだけ不安になるのがこの世の常である。

それに、それを手にした人のこころそのものが変わりどおしなのである。
苦労して一件の豪邸を建てたとしても、それを満足するこころがどれだけ続くだろうか。どんな立派な家でもずっと住んでいればいろんな不満が出てくる。満足するこころがなくなってしまうのである。いい車を手にしても同じ。もっといい車が欲しくなるまでそう時間はかからない。求めていた人と結婚しても冒頭に述べた通り、やはり続かない。

”愛は永遠” というのはそうあって欲しいという人間の願いである。そう願わざるを得ないということは、現実はそうはいかないということである。

 つまり、求めるものも続かない、求める人間のこころも続かない。両方とも続かないのだから、それによって得られる幸せも続かない。しかし、続くものが欲しい。欲しいけど得られない。そこに人間の苦しみの姿がある。
逆にいうとこの世の中がどんなに変わろうとどんなことが起きようと、変わらない心が得られたら、何もなくても安心と満足が得られるだろう。

”いく山河 越えさりゆかばさびしさの はてなん国ぞ 今日も旅ゆく”    (若山牧水)


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